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琵琶湖の水を京都へ・・・
それが明治時代の京都の人々の願いでした。
今から約130年前、琵琶湖疏水ができました。
その水は、今も京都へと流れています。
琵琶湖疏水は、琵琶湖と京都をつなぐ水路です。
そこから流れる水は、飲み水だけではなく
農業やさまざまなところで利用されています。
琵琶湖疏水には、明治時代の人々の努力が今も生きています。
驚きや新発見がいっぱいです。
大津~蹴上まで、
船からみる琵琶湖疏水の見どころを紹介します。
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琵琶湖の水位は疏水の水位よりも高いため、水門を開閉して、琵琶湖と琵琶湖疏水の水位差を調整しています。
これによって、琵琶湖と疏水を舟が行き来することができます。 -
緊急時に水の流れを遮断するゲートです。
阪神淡路大震災の経験を活かして大地震が発生した場合に、水の流れを一時停止する緊急ゲートが平成11年に設置されました。 -
琵琶湖疏水から山科へと流れる洛東用水路の取水口です。
洛東用水路は山科から醍醐までのびました。
農業用の水として今も使われています。 -
JR湖西線の開通により新しく作られたトンネルです。そのために以前の疏水は埋め立てられ、トンネルを通るようになりました。長さは520m。トンネル出口では約90度カーブします。
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柵の向こう側にあるのが大化の改新で有名な天智天皇(中大兄皇子)の古墳です。
滋賀県大津市に都をつくった天皇です。
横の石段を下りると参道に出ます。 -
あちらに洋風の建物があります。これは有名な建築家が建てたコンクリート3階建の洋館です。
建てられた当時の世界的な最新技術を採用しています。 -
日ノ岡取水池は、疏水の水を新山科浄水場へと送っています。ここから少し南に行くと、東山用水路の取水口があります。
琵琶湖疏水からの水を今も農業に使っています。 -
明治36年にできた日本最初の鉄筋コンクリートの橋、第11号橋です。
琵琶湖疏水の工事をまかされた田邊朔郎が造ったものです。 -
宮内省(今の宮内庁)が建設したものです。
疏水から御所へ防火のための水を送るためのポンプ庫です。 -
ここが第1疏水と第2疏水の合流地点です。1890年に作られた第1疏水でしたが、これだけで京都市の水道水が足りないことがわかり、第2疏水の建設が始まります。
第2疏水は1912年に完成しました。